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2017年09月20日

龍と竜

うがみんしょーらん。夏が終わってうれしい、DEI事務局の【もちごめ】です。
すっかりDEIのこともこのブログのことも放ったらかしておりましたが、龍郷町フージャバル遺跡のつづきです。

先日、おもしろいものを見つけました。
「龍郷町文化財調査報告書
龍郷町の埋蔵文化財
分布調査報告書」

「1986・3
大島郡龍郷町教育委員会」

龍と竜


龍郷町教育委員会 濱田好一教育長(当時)の序文がステキです。
龍と竜


「埋蔵文化財は人間だけが持つ縦とのつながり、つまり、祖先とのパイプ役を果たす絶対的な価値を持つものであります。そして、これにより私達は、我々の祖先との会話ができ、それを踏み台として新しい文化の創造も可能になるものと思います。」

「文化創造」って、いいですねえ。懐かしい響きです。

龍と竜


1963年、昭和61年当時、龍郷町で確認されている埋蔵文化財(まあ、遺跡ですね)は21か所。
そのうち発掘調査されているのが3か所。

さてさて、フージャバル遺跡は?
龍と竜


報告書の最後に、タイトル含めて7行の記述がありました。以下その全文。
「21. フージャバル遺跡
 本遺跡は、龍郷町浦字上天川21-1、他にあり、本町役場より北西へ約200mのマージ層の畑地に位置している。国道58号線を基点に主要地方道名瀬―竜郷線が走り、県道の即東側は龍郷湾内の一隅を埋め立て、大島の源動力となる発電所が立地している。遺跡は、その瀬留埋立地の南西部で、母子センター北西の県道沿いの畑地にあり、畑地の断面に遺物包含層が確認され、その包含層から土器破片を検出している。遺物は宇宿上層式土器破片であり、元町職員により発見されている。」


町名は「龍郷町」。道路名は「名瀬―竜郷線」。港湾名では「龍郷湾」なんですね。

あと、原文では読点がすべてカンマ「, 」になっています。古い文章とかでよく見かけるけど、中山先生の追悼論文集の規定でも、カンマを使用するように指定されてたので、もしかしたら考古学ワールドでは標準スタイルなんでしょうか?
こんど宇宿貝塚へ行ったら読点調査してみよう。(←暇人)

で、この「遺物包含層」なるものがないか見に行ってみたわけですよ。
龍と竜


こりゃ、ハブ出そうだ。
龍と竜


ハジギがナリをたくさんつけてます。かぶれないようにクチを唱えていかなきゃ。
「はじょぎ はじょぎ、やーにゃ やぁめらんどぅ、海ぬ りゅに やめーらんどぅ」
(↑ハゼの木にかぶれないためのシマのオマジナイ。ちょっと記憶があやふやで、言葉の意味も忘れた)
龍と竜


前々回のブログで紹介した土器片は、この看板の奥で見つけた。
やっぱり、ハブが怖い。ハブ除けのクチはなんだったけ。
龍と竜


クチを忘れたので奥まで踏み込むのはあきらめて、数日前の大雨で道路に何か流れてないかと探していると、とても古そうなサザエの貝殻。宇宿上層式期のものなら、およそ3,000年前の人が中身を食べたサザエ。
看板の足元にそーっと置いてきました。
龍と竜


大雨で崩れた崖面。でも遺物らしきものは見つけられず。
龍と竜


ヘゴも生えていました。この辺、水位が高いのかな。

この日は時間がなくて、あまりゆっくり見物できなかったのですが、近くに川も流れていて、その脇を登って行けそうでした。
また改めてじっくり散策してみたいフージャバル遺跡です。

ところで、フージャバルって、フー(大)ジャ(蛇)バル(原)かなって、シロートなりに推理してみたのですが、どうでしょう。
このあたりに大蛇にまつわる言い伝えとかないんでしょうかね。

というわけで、はからずも「報告書で巡る奄美文化遺産の旅~龍郷編~」になってしまった今回のブログでした。



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