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2017年04月09日

過去と未来行ったり来たり

うがみんしょーらん。DEI事務局の【もちごめ】です。

140年前の6月です。明治10年、1877年のこと。

アメリカ人の動物学者、シルベスター・エドワード・モースが来日します。いわゆるモース博士。
そして、モース博士がヒモ状の模様をした土器に「cord marked pottery(コード・マーク・ポタリー)」と申したのが日本語に訳されて「縄文土器」となりました、ってハナシは皆さんご存知かと思います。

ちなみにモールス電信機を発明したアメリカ人・モールス博士も、モース博士と同じスペルでMorseなんですって。

ともかくモース博士、先にも書いたように動物学者です。
実は、当時日本に多く生息していたシャミセンガイの研究をしに来たわけです。
で、横浜に上陸後、日本政府からシャミセンガイ採取の許可を得ようと東京へ向かう途中、汽車の窓から、路脇の掘削された地面に多量の貝殻が露出しているのを見つけ、「こりゃ貝塚じゃ!」と申すわけですな。

当時の汽車がのんびりしてたのか、モース博士の動体視力が驚異的だったのか、よくぞ見つけたもんですが、数カ月後に人夫を雇ってこの地を発掘したところ、土器や石器、動物の骨で作った道具などが出てきて日本考古学の夜明けとなるわけです(オハヨーゴザイマース)。


でも、今日のオハナシはこちら。
過去と未来行ったり来たり


笠利町手花部の干潟で先週みつけたミドリシャミセンガイ。
5日前、2017年4月4日の夕方のこと。

このシャミンセンガイ、いわゆる≪生きた化石≫とも呼ばれるヘンな生き物で、見た目は2枚貝そっくりなのですが、貝類が属する『軟体動物』とは別のイキモノで『腕足動物』と分類されます。

古生代のカンブリア紀には、突如として多様な生物が生まれ、ほぼ現在生生息している生物の祖先が出そろった時期なんだそうですが、腕足類もこの時期以降に多くの種が栄えたようです。
5億4000万年前~2億5000万年前のこと。

しかしその後の生存競争では劣勢を強いられ、すっかりその種類も数も減少したものの、明治期の日本では世界でもまれにみる腕足類の宝庫だったようです。

そして、日本を代表する腕足類の一種であるシャミセンガイ。
現在、海に深く潜らなくても観察できるところは笠利町は手花部の干潟だけみたいですよ。
過去と未来行ったり来たり


以前は長崎県の有明海でも豊富だったようですが、もはや時代遅れの悪名高き『国営諫早湾干拓事業』による環境悪化で壊滅的とも聞いています。
いわゆる「ギロチン」がおりたのが20年前。
1997年4月のこと。

ここ手花部の干潟でもだいぶ数は減っているのかもしれませんけど。今でも渡り鳥やシオマネキをはじめとして、いろんな生きものたちを観察することができるのですが、、、、
いいカメラ欲しいなあ^じ^;
過去と未来行ったり来たり


ここの観察会したいですね。
平家の落人が伝えたという「マシャンキリ」→サンゴや石を積み上げて堰を作り、潮が引いて閉じ込められた魚を獲る、が2か所もあるし。
過去と未来行ったり来たり


また干潟の西側の小高い丘は「ヤマトグスク」という字名が残っていますが、ここは薩摩藩による琉球侵略の際に、大島に立ち寄った薩摩軍が最初に上陸し陣取ったところと伝えられています。
(その後の研究では、最初の上陸地は龍郷「深江ヶ浦」だったという説も。)

そして干潟を挟んで、ヤマトグスクと向き合うように、以前紹介した手花部のトフルや古墓群があるんですね→☆☆☆

ここに埋葬されている人骨は、この薩摩軍との戦で亡くなった方々ではないかとも言われていますが、さて、どうでしょう。

実は、この古墓群がある「道の島の古道」入口よりさらに北側、現在エビ養殖場があるあたりの山手、もう少し小高い丘の上にも人骨が散乱している場所があります。
ここは、上陸した薩摩軍に対抗すべく、島民が陣取った場所だと考えられています。字名では津代、「つしろ」です。

しかし、当時日本でも屈指の鉄砲隊を率いる薩摩軍に対し、シマ側は戦闘経験どころか、おそらくは満足な武器すら持ちません(それだけ平和でのんびりした島だったんでしょうね)。
圧倒的な武力の前に惨敗します。

408年前、1609年の旧暦3月7日のこと。
(実際には、龍郷深江ヶ浦についたのが3月7日みたい)

で、毎年4月頃(旧暦の3月7日頃)、ここ津代で、薩摩軍との戦闘で亡くなった方の慰霊祭が行われています。
行っているのは「三七の会」。3月7日なので「みなのかい」。
あまみ庵の店主・森本さんや、クロウサギ裁判で有名な薗さんをはじめとした、知る人ぞ知る、大島の「モノ申すオトナたち」が中心となって、1997年から続いてるこの慰霊祭、今年もやるのかなあ?
都合のつく方は参加してみませんか。

って、調べてみたら、今年の旧暦3月7日は4月3日!
6日前のこと
(TじT)

ミドリシャミセンガイのオハナシはどこへやら。






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この記事へのコメント
XYZ郎 さま

シャミセンガイがお店に売ってるなんて、以前はそれほどたくさん生息していったってことなんでしょうね。
でも、あんまり美味しいものでもないし、数が少なくなって採れなくなっても、それほど話題にならないのかな。

ゆるキャラ化ってのは思いつきませんでした!

『花と緑と干潟を守る、歌って踊れるシャミセンGuys』
ってのを作ってみようかな。

^じ^
Posted by DEIDEI at 2017年04月11日 09:50
シャミセンガイは魚屋さんで売っているところしか見たことがなく
実際に海でどのように生活しているか知りませんでした。
笠利町の子供たちがシャミセンガイで環境学習をしているのが羨ましいです。
貴重な画像をありがとうございました。
次回レポートで『ミドリシャミセンガイ君』という宇宿貝塚史跡公園専属の
ゆるキャラ?マスコット(死語)の登場を楽しみにしています。
Posted by XYZ郎XYZ郎 at 2017年04月10日 07:00
副会長、お疲れ様です。
お仕事はいかがでしたか?

ミドリシャミセンガイのことをアレコレ書くつもりが、すっかり話は逸れまくってますが、まあ、いつものことなので^じ^;

「未確認ヒラヒラ物体」、アレもなんだか不思議な生き物ですよね。
でもアレはミドリシャミセンガイではありません。

そのうち、ミドリシャミセンガイの捕獲方法や食べ方などをレポートしたいと思います。
(本当は今回そんな記事を書くハズだったのですが)
Posted by DEIDEI at 2017年04月09日 21:39
そうそう、薗さんちに昨日行ったけど居ませんでした
駐車場からの山道を少し登るととても素敵な場所に着きましたよー
自分のブログ写真入れれなくて残念。。

そこから、さらに上に登れそうでした
掘割のような、明らかに人工乍

江戸期の地図で、喜瀬~用安への道しるべ、ここら辺の頂上(尾根)を通る赤線があるのだけど、、 その地図にのってる古道ぽいのもあったよー
探検しがいがありそうだけど、なんせ昨日も一人だったので奥には進めずで( 一一)
  
 
Posted by あまゆみあまゆみ at 2017年04月09日 16:53
ミスターモースのことは存じておりませんでした
「縄文」豆知識ですね  米知識でもいいですよ(^^)

たしかに、縄文期でも無紋土器があるからなー おかしいなーと思っていたところです ここ最近。。

シャミセンガイの緑色は綺麗ですよね~
穴から、ヒラヒラ~ってウミウシみたいのが出てて
触るとヒュッ!と穴に入ってしまう・・・
掘っても何も出てこないしで
  不思議な海だな・・手花部
この未確認ヒラヒラ物体がシャミセンガイでしょうか?

マシャンキリ 潮が引くときれいに出てますね
冬場結構波風強いのに、よく崩れないなぁーと感心。感心。

くれぐれもセメントで固めないようにパトロールしないと! 
恐るべし恐るべしサポーター副会長
Posted by あまゆみあまゆみ at 2017年04月09日 16:46
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