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2017年01月12日

風よ吹け

うがみんしょーらん。DEI事務局の【もちごめ】です。

ニシがぶーぶー、波がどーんどーん。
老犬と一緒に毎日歩く浜。
風よ吹け



いいですねえ。踏み荒らされ足跡まみれだった浜が、波に洗われてようやく元にもどる。
以前は夏のひとときを除いて美しい砂浜だったのが、今では年中足跡だらけ。

こんな時には波打ち際を歩きましょ。すぐに自分の跡が消えるように。波に洗われるように。
風よ吹け



ニシが吹いた後は、浜に点々とこんなのが打ちあがるんですけど。なんでしょう?
風よ吹け



魚の浮き袋の様な。
風よ吹け



それに、直径数ミリの、巻貝の蓋のようなまあるく白いモノ。
かなり大量にある。
この写真じゃ、なんだかサッパリわかりませんね。
風よ吹け



ニシが吹いた後は、外国から流れてくる漂着物など、いろいろ愉しい浜歩き。

もっと吹け吹け!。
(今日の記事、 "blow wind blow" Dr.jhonバージョンを脳内BGMにして書いてます。)





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この記事へのコメント
「喜界島 遺跡 画像」 
で検索したら、中世遺跡からの出土した人骨と鏡、見れるよー

夏頃の新聞載ってたんだよそういや・・
忘れてたわ・・ 鏡
Posted by あまゆみあまゆみ at 2017年01月20日 18:52
amayunさま

とても興味深い話、ありがとうございます。

「便利だったから」
って、とてもシマっぽくて面白いと思いました。

今後も新しい発見や仮説それに、日々感じたことなど、気が向いたら教えてくださいませ。
ここのブログに記事を投稿していただいてもOKですよ!

DEIメンバーは、もの好きシロート集団なので、肩肘張らずに気楽にお書きください。

^じ^
Posted by DEIDEI at 2017年01月15日 08:58
また、なぜ鏡の前で線香を立てるのか?についてですが、

「煙を立てるのに便利だったから。」

だそうです。

別に仏教を取り込んだわけではなく、道具のみを利用した、と。それまでは薪をくべるなどが面倒だったようで。

なんとなく、答えに近づきつつあります。
Posted by amayunamayun at 2017年01月14日 22:46
私も今の奄美ユタのスタイルは近代以降に定着したものではないかと考えています。

沖縄では頻繁にユタ弾圧があったわけですが、奄美では起きていないようです。

奄美のユタはその被支配の歴史から生き残る術を探し、祭壇にイザナギ、イザナミ、アマテラスを起き、祝詞を唱え始めた。と仮説を立てています。

その時代の要請、圧力に合わせて形を変化させたのではないかなと。あくまで勝手な仮説です。沖縄ユタとの比較もしないといけませんしね。
Posted by amayunamayun at 2017年01月14日 22:32
amayunさま

これは私の勝手な推測ですが、
明治以降、神道(天皇)を頂点とした宗教管理が徹底されて行く過程で、
日本各地にそれぞれ独自に定着していた「神道」のスタイルも標準化されていくのではないかと。
現在定着しているスタイルは、意外と新しいものではないでしょうか。

奄美において、縄文以来の精神文化を受け継ぎつつ、倭人(鳥越憲三郎氏のいうところの)に起源を持ちそうな神道的な自然宗教が定着・普及していくのは中世以降じゃないかと思うのですが、この辺りのことはさっぱり分かっていないようです。

自分の様なモノが好き勝手に想像で話ても何の役にもたちませんね。
奄美に来られた際に、名瀬の博物館の館長さんにたずねたら、何かしらの手掛かりがあるかもしれません。

amayunさまの今後の研究に期待します。
^じ^
Posted by DEIDEI at 2017年01月14日 09:24
詳細なご返信有り難うございます。

鏡というがいつから奄美で使用されていたの知りたかったのです。

というのも今日ある方に質問したところ、

「鏡を置く理由は、神が降りる場所であると同時に、悪い光を跳ね返すため。」

とのことで、ではいつから奄美では鏡の使用が始まったのか?が気になったのです。

私も専門家でも研究者でもありませんが、ここをクリアしたいなと思った次第です。
Posted by amayunamayun at 2017年01月13日 20:41
amayunさま

コメントありがとうございます。
ここは、質問相談罵詈雑言、なんでもOKです^じ^;

私は専門家でも研究者でもないので、自信をもってお答えできないのですが、「鏡」というと、本土で弥生~古墳時代などに出土する銅鏡のことでしょうか?
そうだとすると、おそらく奄美では出土していません。

そもそも、古墳文化は奄美までは到達していないというのが、
現在の定説だったと思います。

縄文前期から弥生平行期以降にも九州島との間に人やモノの行き来はあったようですが、稲作・農耕を受け入れなかった南島では、社会の階層化や強大な権力者の出現もなく、11~12世紀ころまで縄文的な採取・狩猟生活が続いていたと考えられているようです。

ただ、大量のヤコウガイが出土する遺跡の研究から、奄美では沖縄より早い7~8世紀以頃から農耕が定着して、階層化した社会ができているのではないかという見解もあります。

この頃の遺跡からは、鉄製品や本土との関連が指摘される遺物がよくでるので、今後『鏡』が出ることがあるかもしれませんが、今のところ(自分が読んだ発掘報告書の範囲では)ありません。

また宇宿貝塚に行った際、中世期の報告書等あらためて物色してみますね。
奄美もまだまだ発掘されていない遺跡がたくさんありそうですし、今後の「発見」もあるかもしれませんね。

文化財や文化財行政にもっともっと、力(お金)を入れてほしいですね。
^じ^
Posted by DEIDEI at 2017年01月13日 18:32
明けましておめでとうございます。

今年も皆様のご健康をお祈りします。

こちらで質問するのは適切でないかもしれませんが、
貝塚からの出土品について知りたいことがありまして。

鏡は出土しておりますでしょうか。

早い時期でいつの時代であるとか。

突然の質問申し訳ありません。
Posted by amayunamayun at 2017年01月13日 17:32
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