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2016年12月29日

どうしようもなく年末

うがみんしょーらん。そろそろ観念して年賀状でも作ろうかと、庭のこっこちゃんを眺めてはボットボットしているDEI事務局の【もちごめ】です。

ノンキに「オメデトウ」と書く気にならない年末年始をこの十数年過ごしてますが、今年もやっぱり気が乗りません。
年が明けて、集落の新年会でほろ酔い気分になった勢いで年賀状を書くってのが恒例化してます。
書いたら今年もこのブログにアップする予定ですが、どうなることやら。

話は変わって、今年は奄美北部のキリスト教会全てのジオラマを写真に納めて比較しようなどと、昨年中に建てた計画もすっかり忘れていて、先日、大笠利の教会前を通ってようやく思いだしたのでありました。
どうしようもなく年末

シンプルでミニマムなステージ。
どうしようもなく年末

夜には中央の☆が光るのでしょうか。
どうしようもなく年末

配役は4名+羊(たぶん)。
主役のキリストさん以外は、ステンドガラス調の彩色を施したベニヤ板を切り抜いて作成。
登場人物の選定や配置など、地域や会派によって決まりがあるのでしょうか?

結局今年はこの大笠利の教会しか確認してません^じ^;
来年は会員で分担して教会巡りしてみませんか。

大笠利教会
1903年(明治36年)、中村長八神父により福音宣教はじまる。
1904年、400名の信者が誕生。
1905年、仮教会を建設。
1915年(大正4年)、大笠利教会聖堂が完成。
1936年(昭和11年)、聖堂が放火により完全焼失。
1948年(昭和23年)、信徒により茅葺の仮教会建築。
1949年(昭和24年)、再度放火による焼失。
1951年(昭和26年)、カプチン会(フランシスコ修道会の一派)により木造の聖堂が完成。
1972年(昭和47年)、信徒により現在の聖堂が完成。

以上は「【カトリック】奄美100年(奄美福音宣教100周年記念誌)」より抜粋。
この本によると、宇宿貝塚が発見された1933年(昭和8年)頃から奄美大島のカトリックへの弾圧が激しさを増す。
大島高等女学校も閉鎖へ。

弾圧を扇動するのは内地から派遣されてきた軍人の笠司令官と角和少佐。
「『俺は、カトリック撃滅の特命を受けて、わざわざ大島くんだり迄やって来たんだから根こそぎやっつける。聴かない者があったら≪銃殺≫も敢えて為る覚悟だ。』と角和少佐は公然壇上から豪語していた」と昭和18年発行の「名瀬町史」の記事も紹介されている。
この両軍人、大島各地で集会を開いてはカトリック追放の演説をぶったり、学校の校長先生に外国人宣教師追放の署名を全住民へさせるように仕向けたり。で、校長は校長で言う事聞いちゃうんだな。

「『憲法がなんだ‼』と怒号する笠司令官、『国法がなんだ‼』といきり立つ角和少佐の圧力と弁舌の下に配属将校、憲兵、在郷軍人、消防団が双翼となり、それに護国団という暴力団、奄美義勇軍が参加し、特高警察はヒステリックな白目を向け、怒号して投石する青年、子供の暴行は、カトリック教会の所在する各地に頻繁に行われた。」
日本人の「結いの精神(絆)」とか「地域の団結力」とか、非常時になればいとも簡単にファシズムの餌になっちゃう。

「・・・少壮軍人の指導した日本非常時運動は、全国津々浦々に至るまで席巻して、『非常時』と云う言葉は国民の合言葉となっていた。『天皇陛下』の為に、『国家』の為にやることであれば暴行も暴力も名誉棄損も罰せられなかった。良心ある司法官はこの圧力に沈黙した。」
特に島なんて、昔も今もジャーナリズムがほぼ存在してないようなもんだから、簡単に「餌化」しちゃうだろうなあ。

「笠利の教会堂一夜放火されて廃塵に帰した。犯人を指名しても角和少佐の命令だと聞いては、当局と言えどもかまっては呉れなかった。墓地は荒らされた。大島にただ一人永遠に眠る仏人ブイシュ神父の墓は叩き壊され、捧げる花は其の都度踏みにじられた。」

「国民の無批判と無気力と御都合主義は、此の勢いに迎合して拍車をかけ、全国を非常時の一色に塗りつぶして、間もなく日支事変を巻き起こし・・・
この反省は明日の為に、子孫の為により良き世界を希望する何人にも負わされた義務である。」


wikiで「奄美カトリック迫害」のページを見てみると、
軍人はカトリック信徒を集めて監禁し、背教しないと殺すと脅した。青年団員はカトリック信徒宅に押し入って十字架、ロザリオ、祈祷書を奪い、かわりに天照大神の札を貼った。憲兵は「天皇とキリストのどちらが偉いか」詰問した。教会は襲撃される。1936年に瀬戸内国防協会は大会を開いて、「国土防衛の生命線たる奄美大島におけるスパイ容疑外人、並びに邪教カトリックの徹底的殲滅を期す」と決議。聖心教会の聖堂内の十字架は壊された。大笠利の教会は焼失した。迫害の中、11月に14のカトリック教会は鹿児島県に無償譲渡された。1937年に町村に無償で払い下げられ、役場となった聖心教会の十字架は切り倒されて、かわって日の丸が掲げられた。
カトリック信者の家は、防空演習のためとして、順繰りに放水され、家中が水浸しになった。肺病の少女がいたカトリックの家も一連の防空演習により、少女が寝ていた布団ごと水に浸かった。商家では放水され売り物が被害にあった。

というわけで、皆様よいクリスマス過ごしましたでしょうか。
ワタクシ、クリスチャンじゃあないんでね。
クリスマスなんて祝いませんけど。

12月25日はクリスマスじゃなくて、
「日本復帰の日」でしょ!


とはいっても、やっぱりコレも特に祝ってないんですけどね。
^じ^;




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この記事へのコメント
単なるうちわ揉めを、迫害されたと言う人も居ただろうしね~
「名瀬市誌」読んだことないけど、すごい事書いてるんだね(-_-;)
発行されたの古いからな・・・

明治時代のの聖心教会の写真みたら、迫害くわえたりなんかしたら、それこそ倍返しされるんじゃ? ってなくらいの存在感で、
カトリックと共に名瀬街が形成したような感するんだけど・・・

教会の像の写真を撮って保存しとくってのは、私たちでもやってていいと思う・・  個人的に勝手にやってるし(・。・)  割れやすそうだからさ・・ だめかな??
Posted by あまゆみあまゆみ at 2016年12月29日 20:35
きっとカトリックだけじゃなくて、障害者・外国人など、いわゆるマイノリティーは敵視され迫害されてたんでしょうね。

恐ろしいのは、特別偏狭な差別主義者とか極悪非道な輩ではなく、ごくごくフツーの人々がこうした迫害や殺戮を積極的に、あるいは消極的に加担したり支持したりしてしまうことだよね。

だから、そんな「非常事態」にならないようにってのが大事だと思う。
でも、戦争したがってる人、増えてるよなあ。
気が重いなあ。

☆☆☆

自分は教会のジオラマを、一種の文化財だと面白半分に楽しんでるので、信者さんには失礼だろうけど、、、

あっちこっちの教会のジオラ一覧マップとか、作ってみたいです。
^じ^
Posted by DEIDEI at 2016年12月29日 12:45
抜粋力抜群!!
すごいね~ 「奄美カトリック100周年記念誌」
私そこまでちゃんと読んでないよ(笑) 写真ながめてるだけ(笑)

こんなメチャクチャな道徳観って、、、 旧約聖書の世界じゃん(笑)

大笠利の焼けたカトリック教会は、今の郵便局辺りにあったらしいよ

このジオラマ、、、 私もビックリしたよ(>_<)
私が中学生の頃は、人形だったし、、わらもひいてて「うまや」の演出すごかったんだけどね(笑)
三博士も居てくれないと(*^_^*)   
ここの保育所生全員参加による「イエズス様誕生」の劇のセリフで、強く心に残る「ベツレヘムの星」という存在は、三博士あっての星なのです!

羊飼いもこの星みつけてやって来たんだよ~
首根っこつかんでるよ、「これ、捧げものどうぞ」って言ってるみたいね(笑)

部活の寒い夜の帰り道、この坂の上で灯りがみえるとホッとしたものです
ただ、キリストの真っ裸赤ちゃん人形は、ちょっと恐くて、反対車線を歩きました。。 凝視できず早歩になりましたけど(・。・;
Posted by あまゆみあまゆみ at 2016年12月29日 08:51
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