2019年04月09日
クリスマスジオラマめぐり大和編①
うがみんしょーらん。DEI事務局の【もちごめ】です。
今年我が家で生まれたルリカケス。親鳥が餌を取りに行ったすきに撮影しました。
親がいるときに覗くと、「ぎゃー、ぎゃー」とものすごい怒られる。
実は、このヒナたち、この格好でフリーズしてる。微動だにしない。ビックリさせてごめんね。
下の動画は、家の中から撮影。親が帰ってきたところの音声をどうぞ。
みんな元気に巣立って、また来年帰っておいで。
いやいや、違った!頼むから我が家で産卵・子育てしないでちょーだい!!
さてさて、サンガツサンチ(旧暦3月3日)過ぎても、まだクリスマスネタです。
今日から大和編。
まずは本命、大和教会。
の、前に気になる石垣、
フェンスに大根干してるアパートとか。
大和村大和浜(やまとそんやまとはま)、ここも面白い場所なんですけど、とりあえず教会。
いやー、なんだか、ここまでストレートに「教会」してるの(というか、自分のようなシローとの教会に対するステレオタイプに忠実なっていうのか)って、島では逆に珍しいんじゃないかって言うくらいの教会でした。
鐘の棟もしっかりしてる。けど、さび付いていて動かないらしい。
大和教会(聖クララ)
1896年(明治29年) ハルブ神父が大和浜を訪問
1901年(明治34年) ハルブ神父が福音宣教を試みる
1907年(明治40年) 浜端兵助神父が大和浜に民家を借り講演会や求道者の要理教育を行う
1908年(明治41年) 恩勝にある茅葺の民家を借り仮教会とする
1960年(昭和35年) ルーシン・ヤング神父と栄浩一伝道師が借家で福音教会を再開
1973年(昭和48年) マルコ神父と信者たちにより聖堂が落成献堂 糸永司教により祝別 「聖クララ」に奉献
1989年(平成1年) 河川拡張工事に伴い聖堂を撤去
1990年(平成2年) ログハウス様式の聖堂が落成献堂 糸永司教を迎え祝別 献堂式を機に「大和教会」と名称を改める
だそうです。
そうそう、ここ、ログ積みに急こう配の屋根、キリッとして南国風情が無いから「教会っぽい」のかな。
それにしても大島北部の笠利・龍郷・名瀬と違い、1896年にハルブ神父が大和浜へ訪問してから、1908年の恩勝(おんがち)に仮教会ができるまで、布教の勢いがあまりなさそうですね。この辺の地域差についても調べてみたら面白そうです。ちなみに、ハルブ神父は久慈(くじ;瀬戸内町)まで布教に出向いているようですが、成果はなかったようで。
ちなみに、1891年(明治24年)のフェリエ神父来島以来、大島北部を中心にカトリック信者が増えてくると、当然それに対する反発が。
1893年(明治26年)には、
「浦上でノロや反カトリック集団による迫害が起こる」
「コシュリ神父が浦上有屋間の『ウサキマガリ』で暴徒の襲撃に遭う」
とか、
1895年(明治28年)には、
「本土の仏教僧侶が来島、各地で講演会を開き島の役人と計り、カトリック教を非難する」
「知名瀬で若者たちが教会攻撃を企て投石事件を起こす」
とか、
1986年(明治29年)には
「仏教の僧侶が来島、島民を集めて仏教の講和の代わりにカトリック教を誹謗、信者と未信者の間に分裂が生じる」
などの記述がみられます。
しかし、それでも北部では集団洗礼相次ぎ勢いを増していきます。それだけ、当時の仏教界やノロ・ユタが島では力がなかったってことでしょうかね。
当然カトリックもさんざん島のユタ・ノロ信仰や文化・風習そのものを否定してたとは思いますが。
それにしても、この時期には信者に暴行を加えた輩はちゃんと逮捕・投獄されています。戦前・戦中のカトリック弾圧期に比べると、まだまだ序の口。
ちなみに、上記の記述の元ネタは(各教会情報もですが)、「カトリック奄美100年」(奄美福音宣教100周年記念誌)です。
これパラパラめくっていると、結構面白いです。
今回は教会内部もご紹介します。正面中央に磔された「あの方」と両脇にステンドグラス。
「スーパースター」はスポットライトを浴びてます。
両脇の窓ガラスには色付きシートが貼ってあって光がきれいです。
で、ポストカードになりそうな風景を狙って撮ってみたんですけど、、、
もういっちょ、
これでどうだ!
やっぱり、自分には写真のセンスないんだなあと再確認。
はい、ジオラマです。教会の中にありました。
ソテツの葉をうまく使っています。
ぎゅっと押し込んでまとめてみました、って感じ。
頬を紅潮させたお父さん(?)と、
画像ぼけてるけど、写真写りのいいお母さん(?)。
今までで一番艶のあるマリアさんです。
「預言者」の方々?
足元にはウル(サンゴ)やポインセチア。
クリスマスツリーもありました。
本家のクリスマスツリーは意外とシンプルなんですね。
あんまりゴテゴテ飾り物とかぶら下げないのかな。
壁はログ風の板ではなくて、ちゃんと積んであるんですよ。
実は、ここの大和教会を管理している信者さんが、実はお友達でした。通称「のりちゃん」。
年末にのりちゃんから、ロケットストーブ作ったから見においでと言われていて、連絡したら正月3日がヒマだというので、教会巡りがてら行ってきたのでした。
で、教会の事やジオラマの事をいろいろ聞こうと思ってたのに、そんなことよりロケットストーブで盛り上がってしまい、、、
のりちゃんのお友達が作ったロケットストーブ。ペール缶2段タイプ。耐熱塗装までして丁寧に作ってありました。
でも、うまく扱いきれてないとのこと。
この後、そのお友達の家にも案内されて、ウッドガスストーブやら煉瓦のピザ釜やら見学して楽しんできました。
そのうち、ストーブクッキングして遊びましょうと約束をして、大棚集落へ向かいます。
^じ^
Posted by DEI at 12:06│Comments(0)
│シマ遺産
コメントありがっさまりょん。よーりよーり待ちくりんしょれ!